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おもう1
登場人物 水月、夕鈴、青慎、紅珠、黎翔、方淵
カップリング 水月x夕鈴(黎翔x夕鈴の表現あり)

※水月さんと夕鈴が夫婦になるまでというか、なったあとも含めての話です。
しぶから。
長いだろーなと思って最初からしぶに投函しましたが、まさかの1話で3万弱となりまして、
1話だけで今まで書いた長編?っぽいやつの1話から最終話をあわせるのと同等です。

・要所要所に陛下x夕鈴がはさまってますが陛下コースではありません
・水月さんがあまり頭よくない感じに
・夕鈴がいろいろ難癖つけられて後宮を追い出されてます
・青慎が官吏として、水月さんのしたで働いています
・陛下に外からきた正妃がいます
・陛下の弟についてのネタバレがほんのりありますのでコミックス派の方はご注意下さい。

そのほか、いろいろな点で捏造設定満載のため、
閲覧はご注意下さい。

つづきからどうぞ。

タイトルなぜか入力されてなかったので追加。

地方から中央へ人が移動するのはさほど珍しくはないが、
大抵は親族に引き連れられてのことか、
元々中央にいた人間が、戻ってきた場合である。
地方出身で、最初の配属から地元に戻された人間は、
そこで一生を終えることが通常であった。
そのため、今回大幅な人事異動にまぎれるように、
汀青慎が中央に配属されたのは、
水月には少し不思議なことだった。
汀青慎と水月は出会ったことはないが、
水月が試験の採点を行ったときに、
なんとなく気になっていた答案の主が青慎だと聞いていたのだ。
よくよく噂を集めてみれば、
地方にいたのは途中からで、ものは下町の出身のようであった。
聞いたこともないような家の出自でありながら20代で及第し、
その上成績上位者ということで、最初は試験に関わった官吏の間で多少話題になったものの、
その身分の低さと、最初から地方に飛ばされたということで、
あっという間に忘れ去られてしまった。

その汀青慎が戻ってきて、
しかもいきなり水月の下で補佐官補助として配属されたものだから、
配属初日に緊張していたのは青慎だけではなく水月も同じことだった。
黎翔の意図を読むのは水月には難しく、
10年以上近くにいても恐ろしいものは恐ろしい。
昔、後からあれは雇われただけだという情報が入ったが、
黎翔の元にどこからともなく現れた妃がいたときは、
多少は柔らかい表情を見ることもあったが、
彼女が消えてからは、
黎翔の笑いは春を一瞬で凍らせて冬に戻す吹雪のように冷たく感じる。
それでも、
水月がたった1人の補佐官となってしまっても恐ろしさに耐えながら王宮に残っているのは、
黎翔の王としての気質にどこか尊敬の念を抱いていることと、
ほんのたまに見る黎翔の表情が、
あまりに不安定であり、行く末を見ずに遠ざかることができないからだろうか。
とにかく、そんな状態だったので、
黎翔と会話をする機会が1秒でも少なくなるのは歓迎すべきであり、
黎翔自らが選んだとしか思えない人間が水月の下で働くというのは、
いったいどんな意図があるかは不明だが、悪くはない。

汀青慎が王宮に入ってきても、
黎翔と青慎は接触する様子がなかった。
青慎はいたって真面目で、周りの様子をよく見ており、
余計なことはしないがなんでも判断がないと動けないような愚図でもなく、
補佐としてはとてもちょうど良い人物だった。
もう少し知識と経験がついて、
周りの人間を扱えるようになれば、
身分の問題が残っても多少上の役職にはつけるかもしれない。
しかし、水月が気になっていたのはそんなことではなく、
青慎の顔だった。
表情は違うが、面影がある。
そんなことを思うのだが世の中には似たような人間などいくらでもいるわけであり、
水月の思い浮かべている人間と、
この目の前の汀青慎を簡単に結び付けて良いものか分からなかった。
しかも、もし本当に、汀青慎と彼女が知り合いだったとして、
会っていまさら何をしようというのか。
黎翔が自ら探さないのだから、
一臣下が出る幕ではないのだろう。
そもそも黎翔は既に正妃を取っているわけだし、
さらに、死んだ人間を黎翔の隣に戻すことはできない。

水月は10年前の王宮のことを思い出していた。
黎翔の弟瑛風を王都に呼び戻すという話に伴って、
後継者についての議論が動き出していた。
唯一の妃と言われながらもいつまでも身ごもらない身元が不明の妃について、
素性を探ろうとする動きが本格的になっていた頃だった。
水月は父親の氾史晴が妃の正体をもともと知っていたらしいことを耳にしたし、
それを知った上で、紅珠で作り上げた関係の利用価値を評価しているところで、
表立っては動いていなかった。
父の派遣していた人間を一部使って水月も情報を得たのだが、
夕鈴が本物の妃でなかったと知るとますます、
黎翔と夕鈴の関係は本人達の意思と関係なく破綻させるべきではなかったと、
今もそう思っている。
妃について根も葉もない噂が充満し、
王都で流行っていた疫病を彼女のせいにする話が出ていたときは呆れたが、
理由のないものになにかをこじつけて不安を消し去ろうとする動きは止められなかった。
周りの混乱の中に、身を守るすべのない夕鈴を1人置いておくのは確かに危険で、
追い出すしかなかったのかもしれない。
しかも寵愛を失った挙句に、影武者を使って事故で死亡したことになっている。
その事故は国王が仕向けたものだという専らの噂になっているが、
真相は誰も知るところではない。
水月は、夕鈴が王宮を出る直前に会っており、
無実であることを知っていると告げたが、夕鈴はそれに対して微笑んだだけだった。

あれだけ、
ただ純粋に王のことを1人の人間として、
大切だと言っていた人を他に知らなかった。



「じゃあこれ、よろしくね」
「はい」
青慎にまとめた報告書を渡し、水月は帰宅することにした。
もう一通りのことは教えてあるから、
水月が残る必要がある案件はない。
青慎は水月が早退する癖があることについて、
何らかの事情があると考えている様子だがそれは深読みのしすぎで、
今日などは魚にエサをやりたいだけだ。
青慎は思慮深いが、
気を遣いすぎて踏み込めないところに欠点を感じる。
どうしたらもう少し大胆な動きができる人間になるだろうかと考えていて、
ふと自分がだれかを育てるなんていうのは初めてだと気付いた。
引きこもりの水月を王宮へ引っ張り出した彼女に似ているからという理由で、
補助につけたなんてことはあり得るだろうか。
それが副次的な理由にはなっているかもしれないなあ、
などと考えつつ廊下を歩いていると正妃と黎翔の姿が目に入った。
正妃は黎翔よりかなり若いが、帝国の姫として育てられただけあって、
姿も所作も美しく、黎翔に寄り添うように穏やかに微笑み、
教養があり、諸外国とも繋がりがあり、
はじめて王宮に入ってきてから表立ってはだれも文句が言えないような女性だった。
いったいどこから見つけてくるのだろうというくらいに、
2人は絵に描いたような理想的な国王夫妻である。
しかしよくよく話を聞いていると2人の会話はだいたいボードゲームの戦略の話だったりするので、
見た目よりもお淑やかな女性ではないのだろうと思われる。
正直水月の目には、まるで戦場で、敵をどうやって落とすか策略を練る将軍と参謀のように見えてしまう。
しかし彼女が後宮を出るのは珍しいな…と見ていると黎翔と目が合った。
「氾水月」
「陛下」
もっと早く立ち去ればよかった、と後悔するが遅い。
黎翔が水月に話しかけた瞬間、
正妃は黎翔に何か耳打ちしてすぐに立ち去った。
「申し訳ございません。邪魔をするつもりはなかったのですが…」
「いや、構わん。
私が負けるところだったからな」
「お妃様は強敵でいらっしゃいますね」
王と正妃がこそこそと呟き会っているのは愛の言葉などではなく、
ボードゲームを口頭で行っているだけだと水月が気付いてから、
国王夫妻の会話のネタには悉く色気がないことが判明するまで時間はかからなかった。
「…全く及ばん。しかも最後はうまく私を勝たせようとする」
「それはいじらしい」
「本音か?」
「いいえ」
「お前は全く指さないと聞いたが」
「そうですね。同じ場所に座っているのが苦痛ですし…
昔は紅珠に双六に付き合わされたりはしましたが」
「双六か」
王が水月に雑談を仕掛けてくるのが珍しい。
どこまで会話を広げるべきか迷いながら答えていくと、
ふいに黎翔が微笑んだ。
この顔だ。
ほんのたまに、水月の言葉の何かがひっかかって、
黎翔は昔を懐かしむような顔をする。
「陛下」
「なんだ」
「本日は天気がよろしいので、
せっかくですからお妃様と少し外へお出かけになられてはいかがですか。
中庭の花は満開です」
「そうか」
黎翔が窓の外に顔をやった。
中庭の隅に咲いているうす桃色の花はとても地味で、
王宮にはそぐわないと思うのだがずっとそこにある。
紅珠があるつてから聞いた話によれば、
前の妃が気に入っていた花だということだ。
やはり、王はあの花を忘れてはいない。
忘れていたならば、
このように優しい瞳をして、
庭を見たりはしない。




水月は頭にぼんやりと考えを浮かべながら、
どうしても最後の一歩に踏み切る決心ができずにいた。
探し出す方法に確証が持てないこともあったし、
自分が彼女を探したいかどうかも分からなかった。
今更2人を出会わせたところで、
それを望まれているのかも不明だ。
水月を現実に引き戻すように、政務室に大きな音が響いた。
政務室は他の部屋に比べて騒がしいところがあるので、
あまり出入りはしたくない場所だ。
今度はいったい何か、と音のしたほうを見れば、
書簡を床に投げ捨ていたのは黎翔だった。
「何だこの報告書は?」
「申し訳ございません」
床に膝をついて震えているのはまだ年若い官吏だった。
かわいそうなくらい震えているが、報告書に不備があったのなら彼が悪い。
しかし政務室はすっかり静まり返っているし、
黎翔の機嫌が悪くなりとばっちりであちこちを睨むので、
水月は今日はもう帰宅することにした。
「青慎、悪いけど私は持病の頭痛がするので帰るね」
近くにいた青慎に告げると、
青慎は慌てて反応する。
「あ、ちょっと待ってください。
これだけ陛下に報告してくるので、修正だけしてください!
今日中にどうしてもあげたいんです」
「え?!」
水月が制止する間もなく青慎は黎翔にかけよっていき、
なにやら話している。
案の定機嫌の悪い黎翔の対応は冷たく、
青慎も一言二言怒鳴られて帰ってきた。
「すみません、だいたい大丈夫みたいなので、
こことここだけ直したいのですが、参考資料はこちらで合っていますか」
「うん、合っているけど…」
黎翔に怒鳴られたのに平然として仕事を進めようとする青慎の姿は異様だ。
「青慎」
「なんでしょうか」
「君は陛下が怖くないのかい?すごいね」
青慎は少し考えて、声を落とし、遠慮するように答えた。
「それは…怖くないと言ったら嘘になりますが、
陛下は理由もなく人を傷つけるような方ではないと思いますし、
お怒りのときは、自分に至らぬところがあったためです。
だから、陛下のお力になれるよう、精進するのみです」
「そっか…そうだね。
青慎はずいぶんしっかり育てられているみたいだけど、
ご両親のおかげかな?」




「姉さん!」
青慎がこれほど早く帰ってくるのは珍しい。
泊り込みだってあるくらいなのに。
慌てた様子で、夕飯の準備を始めようとしていた夕鈴のところへ駆け込んできた。
もしかしたら家に何か忘れ物をして、また戻るのだろうか。
「なあに、青慎?
慌ててどうしたの」
「ちょっと、お願いがあるんだけど」
息の切れている青慎に水を渡すと、一気に片付いてしまった。
「青慎からお願いなんて、珍しいわね」
「うん、えーと、
実は、今お世話になっている人に姉さんの話をしたら、
手料理が食べたいって言われて」
「え?!」
「作りたての料理って、あんまり食べないんだって。
材料は全部用意してくれるっておっしゃるし、
どうしてもって言われたから、すぐには断れなくて…
ダメ、かな」
「う、うーん」
青慎の知り合いということは、
中央の官吏ということだ。
青慎は家で仕事の話を一切しないから、
誰のことなのか検討もつかない。
多分もう、1度くらいは黎翔の顔を見ただろうが、
その話も夕鈴には一切してこない。
夕鈴が王宮を出たことを踏まえて、
青慎なりに考えた結果の行動だろう。
そんな彼が王宮の人間と夕鈴とを会わせようとするなんて、
よっぽどの理由に違いない。

青慎はまだ中央に来たばかりで、
今周りの印象を悪くしたら、
これからも居心地が悪くなってしまうかもしれない。
庶民の料理を食べたいなんていう変わり者は、
夕鈴の知っている官吏の中にはいない。
もう10年も経って、辺鄙な町で過ごしていた夕鈴は、
容貌や雰囲気も多少変わっているし、
あまり関わりのなかった人間ならなんとかなるだろうか。
青慎のような新米で中央に来たばかりの人間と関わりがあるくらいだから、
そこまでの位でもないだろうし、
きっとまだ若いに違いない。
夕鈴の姿は見たことがなく、
噂で聞いたくらいかもしれない。
夕鈴が考え込んでいると、
それを否定の意味で捉えたのか、
青慎の顔が暗くなった。
「やっぱり難しいよね。
しかも今日なんだ…
すごくお世話になっているから、
なにかでお返しがしたかったんだけど、
これじゃあ僕が返したことにもならないし…」
青慎のがっかりした顔は、
あまり見ていたくない。
もしどこかで会ったことがあるとか言われても、
適当に誤魔化せばなんとかなるか、という安易な考えが浮かぶ。
演技は久しぶりだが、
大人になった夕鈴にとっては、大慌てで臨むことでもない。
「青慎、私の名前って、もう伝えてある?」
「え、言ってないと思うけど…まずいかな?」
よし!と、夕鈴は心の中でガッツポーズをした。
名前も知らないで呼んでいるということは、
前の妃と同じ名前の娘を探しているというわけでもなさそうだ。
「大丈夫よ!
事情はよく分かったわ。姉さんが一肌脱ぐ!」
「本当に?!」
「もちろんよ!まかせて」
念のため眼鏡をかけていこう。
できるだけ昔とは印象を変えて、
喋り方も田舎っぽくしたほうがいいだろうか。
しかしあまり品を落とすと、
青慎の評価にも悪影響になる恐れがある。
とにかくその場に行ってみて、
相手の様子を見て決めるしかない。

準備を終えてしばらくすると、
外が騒がしくなってきた。
「あ、迎えが来たのかも」
「え?迎えを出してくれてるの?」
「うん。
もし姉さんが無理だったら、
宴の席の練習をしようって言われて、
僕だけでも行くつもりだったんだ」
「何の練習?」
「お酒。お酒が苦手って言ったら、
おいしいものなら飲めるだろうって、誘われていたんだよ」
「あらま、随分太っ腹ね」
「うん。すごく良い人だよ。
いつもにこにこしてるし」
青慎と一緒に外に出ると、下町では悪目立ちするほどの豪華な車が止まっていた。
中に案内されると、
夕鈴が妃として乗ったことのあるものよりも立派な作りに見えた。
「すごいわね」
「そうだね。
まあ何しろ…」
「青慎殿!」
後ろから声が聞こえ、
通りの向こうの車から、男が2人走ってきた。
王宮で働いている下男のような男と、官吏だった。
後ろに立っているのは、青慎の知り合いらしく、
手元の巻物を広げて青慎になにやら説明している。
青慎は慌てて車を降りた。
「それ本当ですか」
青慎の顔色が変わる。
もう車に乗ってしまっていた夕鈴は、
ただ事ではない様子に急いで降りようとしたが、
青慎に制止された。
「姉さん!僕ちょっと仕事が入っちゃったから、
後から行くね!
本当に良い人だから大丈夫だと思う!」
「え?!私1人で行って良いの?!」
「今日じゃないとどうしてもダメって言われたから、
お願い!」
「ちょ、青慎ー?!」
嵐のように過ぎ去っていった青慎と、官吏に置いていかれ、
夕鈴はぽかんとしていた。
呆然としていると、
突然車が動き出した。
「きゃっ」
揺れないようにしっかりと座りなおす。
椅子は柔らかく、
安い車のようにものすごく揺れることはない。
どうなるかは不安だが、
すごく良い人だと言っていたし、
まあ、なるようになるだろう、と思って夕鈴は目を閉じた。




急に車が止まり、夕鈴は夢の中から呼び覚まされた。
「ふえ、な、何…あ、着いたのかしら?」
扉が開いたので、外に出る。
「あら…ここは…」
なんとなく、見覚えがある。
しかしここに直接来たことがあるというよりは、
どこか似たような場所を見たことがある気がするくらいだ。
しかも何度か訪れたことがある。
心の中にもやもやと蓄積し始めた嫌な予感を振り払うように、
夕鈴は大またで歩き始めた。
顔を上げるのはよそう。
使用人に案内され、
夕鈴は椅子に座った。
この茶器、多分見たことがある。
しかし屋敷は別のものだ。
夕鈴の中に思い浮かんだ青慎の上司は1人しかおらず、
身体がびっしょりと冷たい汗をかいているのを感じた。
確かに良い人だろう。
いつもにこにこしているだろう。
そして青慎がお願いされて断れないのも無理はない。
時の大臣で、しかも白陽国きっての名門の当主、
氾史晴に呼び出されたとなっては、断れるはずがない。
紅珠の屋敷に似た作りの屋敷に住んでおり、
10年経って今更夕鈴に用事がありそうな人間といえば、
氾史晴くらいしか思い浮かばない。
悪い人ではなかったけれど、黎翔と仲良くはなかった。
そして紅珠を正妃にしたがっていたのだ。
黎翔は1年ほど前に正妃を迎えたばかりだった。
夕鈴も正妃歓迎のパレードを見に行った。
まだ御子のないあの2人の間になにかしようというのなら、
全力で阻止しなくてはならない。
氾大臣の考えていることが悪いこととは限らないけれど、
とにかく慎重に判断しなくては。

いっそ始めましてと挨拶をして、
全く別人のふりをするというのはどうだろうか。
それで相手の反応を見てみるとか。
いや、そんなことをしたところで正体はきっともうバレている。
とにかくこちらは知らなかった体でいこう。
あくまで青慎の姉として振舞おう。
コツ、と足音が聞こえた。
夕鈴はできるだけ相手の姿を見ないように、
そして自分の顔を見せないように深く頭を下げた。
「こんにちはっ!
汀青慎の姉でございます。
弟は急に仕事が入ってしまったようで、
私1人でお伺いすることになり申しわけございません」
「こんにちは」
夕鈴は恐る恐る顔を上げた。
そこにいたのは、夕鈴の予想した人間ではなかった。
「あ」
「お久しぶりです」
「す、水月さん?」
「おや、ずいぶんがっかりされていらっしゃる様子で、傷つきますね。
誰だと思ったのですか。紅珠でしょうか」
「え、いえ…だれだろうな~と思っていたところで…」
「そうですか。お元気でしたか」
「はい、水月さんも、お変わりないようで…」
水月は、10年前とあまり変わりなく見える。
父である史晴と同様、年齢を重ねても穏やかな笑みには華があり、
相変わらず眩しかった。
いったい何の用だろう。
氾水月が夕鈴を使って何をしようとしているかは、
氾史晴の考えを読むより難しい気がした。
水月は、夕鈴の覚えている限り政治や家の繁栄にあまり興味がなく、
ひたすら早く家に帰りたがっていたイメージだ。
昔の妃を引っ張り出して中央を混乱させたとして、水月に利益はあるのだろうか。

夕鈴は、青慎の中央での立場を思ってのこととは言えど、
のこのこ来てしまったことを後悔しはじめていた。
水月は、夕鈴に弟がいたことも知らなかったし、
姓も伝えたことはない。
しかし、夕鈴とよく顔を合わせていた人間なら、
青慎と夕鈴が何かしら繋がりがあると推測するのは簡単であろうし、
何しろあの氾家の長男が、
庶民の食事を取りたいなどという理由で、
新人官吏の家族を招待するなどというのはあり得ない話だった。
水月は、夕鈴が王宮にいたときに助けになっていてくれた立場だし、
最後に夕鈴が犯罪者扱いされていたときも、
最後まで無実を知っていることを伝えてくれた。
その言葉にとても救われた。
妹の紅珠もよくしてくれていた。
青慎になにか害を及ぼすつもりだとは考えられないが、
10年も経った今呼び出されて、
何も不安がないと言ったらそれは嘘になる。
何か黎翔の身に起きたのかもしれない、
でもそんなことで今更自分を呼ぶか?
それは選択肢に入れづらい。
黎翔の周りにいる官吏に噂を流して混乱させたり、
今の正妃の立場を悪くしようというくらいなら、
利用価値があるかもしれないが、
黎翔本人には、夕鈴はもうなんの価値もないだろうと思う。
水月は紅珠が黎翔に嫁ぐことにそれほど積極的に賛成しているようには見えなかったから、
正妃との間に問題を起こすのも目的ではないだろう。
なにしろ、もし紅珠が妃になったら、
水月は恐れている黎翔と兄弟になってしまう。
だからといって、懐かしい友人としてわざわざ探し出すほどに、
水月自身は紅珠と違って、夕鈴と個人的に仲が良かったわけでもないはずだ。
考えても、夕鈴の頭で想像がつくことは限られている。
夕鈴は考えをめぐらせることを諦めて、
懐かしい知り合いとの邂逅を楽しむ友人として振舞うことにした。
「そういえば水月さん、いつも青慎がお世話になっております」
「ああ…世話になっているのはこちらかもしれません。
彼はとても優秀ですから、助かっています」
「本当ですか!よかった。
まさか青慎の上司が水月さんだったなんて本当に信じられません!
しかも庶民の料理を食べたいなんて意外すぎて笑っちゃいます。
なにがいいですか?私、こう見えて料理は結構自信あるんですよ」
夕鈴が明るく尋ねると、水月は懐かしそうに微笑んだ。
「…お妃様は、お変わりありませんね」
「…え?もうっ、やめてください。私は妃でもなんでもないです。
それにもともと、本物じゃなかったですし。
水月さんもご存知でしょう。
さ、台所貸して下さい!なんでもつくりますよ!」
台所がどちらにあるかは知らないが、
とりあえずどこかに移動しようと落ち着かない夕鈴を、
水月がじっと見ている。
「…料理はただの口実だったのですが」
「え?」
「青慎が、昔の貴女と同じことを言うので、
まさかと思いつい声をかけてしまったのです。
本人であるか確信もありませんでしたし、
何をするとも考えていなかったのですが、
よろしければ少しだけお茶に付き合って下さいますか?
昔話もたまにはいいでしょう」
「構いませんけど、昔の私と同じというのは?」
「彼が、陛下を恐ろしくないと言うので。
そんなことを言う人はあまり多くはありませんからとても印象に残っていて」
あまりの回答に、つい笑ってしまう。
「水月さん、全然変わってないですね」
そうだ、氾水月は、こういう人だった。
夕鈴の中に懐かしい気持ちが溢れてきて、
ようやく安心して雑談に入ることができた。



結局日が落ちる頃になっても青慎は来なかった。
夕鈴がお茶を飲み終えると、水月が立ち上がる。
「これ以上いらっしゃると門が閉まってしまうと思いますので、
お帰りになったほうがよろしいでしょう」
帰りも車で送ってくれると言われたので、甘えることにした。
屋敷の外で向かい合う。
夕日の中にいると、あまり変わらないと思った水月も、
やはり年齢なりの顔つきになっている気がした。
「お妃様…いえ、」
何と呼ぶか迷っている様子だったので、
夕鈴から提案した。
「夕鈴でいいですよ」
その答えに、水月は安心したような顔になる。
「では、夕鈴、
1つお願いがあるのですが」
「なんですか?」
「迷惑でなければ、また、会ってくれますか。
貴女がここに来たことは絶対に口外いたしません。
紅珠も、貴女のことをとても恋しがっています。
今日はまだ確信が持てなかったので呼んでいないのですが、
次は3人で……」
水月は少し考えた後、微笑んで言った。
「友人として、これからもお会いできたら嬉しいです、夕鈴」
「もちろんです!」





「ふぅ…」
夕鈴を見送って、水月は室内に戻ってきた。
部屋に戻るとどっと疲れが出て、崩れるように座り込む。
彼女は大人になっていた。
紅珠の家で初めて会ったときは、
ただ黎翔のことが好きな幼い少女であったし、
王宮にいる間中、
彼女の頭にあるのはいかに黎翔が無理をしないで、
幸せに過ごせるかということのようで、
他に複雑な表情や考えを覗かせたことはなかった。
善良で、素直で、いたって単純だった彼女が、
まさかあれほど警戒した顔つきで自分を迎えるとは少々意外なことでもあった。
青慎の話を聞いていると、
夕鈴は随分青慎を可愛がっているようなので、
その弟に危害が及ぶと思っての態度なのかもしれなかった。
ひとまず、
紅珠の屋敷でよく食べられていた菓子と茶を用意し、
茶器もわざわざ紅珠の屋敷から借りてきて、
見慣れたもので居心地が悪くないようにはしたし、
話しているうちに夕鈴の警戒も解けていくのが分かった。
友人と言うのは少し躊躇われたが、
今後の彼女と自分の関係を示す言葉をそれ以外に思いつかなかった。
二つ返事で了承してしまうところはどうかと思うが、
そういうところは変わりなく、
きっとそこにこそ黎翔は懐かしさを覚えるのだろう。
この先どうやって2人を会わせるのかはさらに慎重に考える必要があるが、
ある程度予想の範囲に話がまとまったことは水月を安心させた。
黎翔の時折見せる、
なにか悪戯をするような子どものような表情や、
仕事を放り出して庭で昼寝をするようなところを、
もう少し引き出せたらいいと思う。
以前より内政はずっと落ち着いているし、
水月は、玉座で冷たく周りを睨んでいる黎翔より、
人目を盗んであくびこらえ、少し変な表情をしている黎翔のほうが好きだ。
黎翔は常に最大限に周りを警戒しているので、
気を許したところを見るのは不可能と言ってもいいが、
早退するために抜け道を通っていると、思いがけずに油断した姿を見ることもある。
もちろん気配を感じられる前にさっさと水月のほうが消えてしまうので、
あれは幻だったのかとも思うが、何度も見ていれば現実だと分かる。
あの王も、人なのだ。
いつもにこにこ笑っていてほしいなんて思っていない。
けれど、鬼のような形相をして、
冬の吹雪を後ろに抱えて座っているあの黎翔が、
ほんのたまに見せる人間らしいところを少しでも引き出してくれるなら、
夕鈴と黎翔を会わせるという考えは悪くないはずだ。






青慎は次の日の夜になって帰ってきた。
「姉さんごめんね!」
「いいのよ、仕事だったんでしょう」
「うん、後ね、
水月補佐官が姉さんにありがとうって」
「こちらこそ。
良い人だったわよ」
「そうだよね!よかった」
あの日水月とは今の王宮の話はしなかったが、
今も黎翔を恐ろしいと言いながら変わらず補佐官をしているかと思うとおかしかった。
「ねえ青慎、
補佐官って1人なの?」
真面目で黎翔に心酔していた彼も、まだ黎翔の隣にいるのかと尋ねてみる。
「たしかそうだよ。僕が副補佐をやってるんだ」
少し誇らしげな弟が可愛い。
「…そう」
「あ、そういえば前はもう1人いたんだけど、
兼任してた部署が忙しくなっちゃって、1人になったっておっしゃってたな」
「あら、それじゃあ大変ね。
水月さんは陛下のこと怖がってるじゃない」
ふふ、と夕鈴が笑うと、青慎は少し驚いた顔をして、
それから一緒に笑った。
ずっと気を遣ってくれていたんだろう、
その日から時々、青慎の口から黎翔の話が出るようになった。




「水月兄さま、お帰りなさいませ!」
「紅珠、来てたのかい」
「ええ。
聞いてくださいませ。夕鈴様もご一緒ですのよ!」
「え?」
それとなく紅珠に夕鈴の話を出すと、
紅珠も本当に会いたがっているようだったので、
一度3人でお茶を飲んだ。
水月1人では夕鈴を呼び出す理由もすぐに尽きてしまうので、
紅珠が参加してくれることは有難いには有難いのだが、
水月が予想した以上に2人は頻繁に会っているようだ。
しかも水月の予想していないときに、
勝手に水月の屋敷に来ることがまれにある。
そうして勝手に水月の家に来たときは、
夕鈴が夕飯を作り、時には青慎を交えてごはんを食べるという、
奇妙な話になっているのだった。
ここまで距離を縮めるつもりは全くなかったので、少々計算外である。
そろそろ父親が頻繁な来客を不審がるごろであるし、
あるいはとっくに客人の正体をつかんでなにか考えを巡らせているかもしれなかった。
「水月さん、こんばんは!」
「夕鈴、青慎はいいのですか」
水月はいずれ黎翔と夕鈴が一緒になるものと思っているので、
いつまでも敬語なのだが、夕鈴はそれをくすぐったいとして嫌がる。
頑なに口調を統一しているとそのうち何も言わなくなったが、
青慎には普通に話すのに、夕鈴にはよそよそしいことは気になってはいるようだった。
「いいのですかって、
水月さんが仕事押し付けたんじゃないですか。
今日も帰りが遅いと思いますけど?」
「否定はしません」
夕飯を食べる時間くらいには帰るように伝えているが、
青慎は残って勉強していることが多い。
夕鈴もそれを聞いているのか軽口は叩くが本気で怒っている様子ではなかった。
「今日はおいしいお魚をもらったので、
煮付けにしたんですよ」
「そうですか」
いつもは1人で部屋で食べるので、
紅珠と夕鈴の会話を聞きながら食事をとる日は居心地が悪いような、
悪くないような、奇妙な気持ちになる。
作りたてで、口に含むと熱い食品にもそろそろ慣れてきた。
水月はあまり食事を多くとらず、
朝は起きるのが遅いと抜いてしまうし、
夕飯も面倒で食べないときがある。
出仕前に1日食べないのも困るかと思って何かをつまんだり、
休憩中に少し食べたりはするが、
人と一緒に食事を囲んでというのは、水月の生活にとっては異質だった。
食事の後に茶を用意するのは水月の役目で、
今日は外国から届いた赤い花と実の入った酸味のある茶を用意した。
水月に変わった茶を集める趣味はないが、
夕鈴が遠慮をせずに楽しんでくれるもてなしがこれくらいしかないので、
少しでも珍しいものを見たら取っておくことにしていた。
夕鈴が帰宅するのはいつも門が閉まるギリギリになる。
肌寒くなってきたこの頃は日が落ちるのも早くあまり雑談している時間もない。
「ありがとうございました、水月さん」
「こちらこそ」
「青慎によろしくお願いします。
ではまた!」
次の約束をしているわけではない。
けれど毎回、夕鈴は次も会うのが当たり前のように去っていく。

水月は、夕鈴と何度か会うようになってから夕鈴の周りを調査したが、
夕鈴に結婚の気配はないようだった。
今は手入れをしていないが、
見た目は化粧をすれば映えるのを知っているし、料理もうまい。
性格は明るく、素直で、義理堅い。
調査によれば今までいた地方の村でも、
下町での評判も悪くないのに完全に嫁ぎ遅れと言われるまでどの家にも入らず、
噂さえ立たないのは、
やはり彼女のずっと黎翔を想っているからだろうか。
しかし、黎翔と夕鈴が会っているという証拠はつかめない。
黎翔のことは話題にしそびれて、
夕鈴の前で会話に出せていなかった。
彼女が望まなくても黎翔が望めば、
無理やり王宮に連れてくることは可能だが、
黎翔はそんなことはしないだろう。
それは2人の一緒にいるところを見たことがあれば明らかなことだ。
水月は、夕鈴が後宮を出て、一時辺境に越したものの、
以前住んでいた町の近くにそのまま住めていること自体が、
間違いなく黎翔の寵愛が続いていることを示していると考えているし、
王宮を離れずに戻ってきたということは、
夕鈴も黎翔のことをなんらかの形で想っていると考えてもよいと思っている。
弟の仕事についてきたといえばそれまでではあるが、
本当に会いたくないのなら、遠く離れた地にしがみつくはずだ。
水月の知らない複雑な理由で2人が会えないというのなら、
出る幕ではないかもしれないが、
多分2人は意地を張っているか、
お互いを想いすぎて動けないのではないかというのは水月の読みだった。
夕鈴とは長く一緒に過ごしているわけではないため確証はないが、
黎翔の発言や表情を読み取っていくと、
王が大切なものほど遠ざけたがる傾向にあるのは分かってくるし、
当時の王宮の状態を考えると、
実際は下町出身で臨時妃として雇われている、
身元不明の女性を正妃にするのは選択肢にもならなかっただろう。
それに白陽国は王政とは言っても官吏の力も小さくないし、
国自体の発展を考えれば夕鈴を正妃にするというのは、
もしあのとき黎翔がそう判断していたとして、
手放しで賛同できる案ではなかった。
加えて多数の悪評が立っていては、いくら国王の意向でも、
彼女を手元においておくことが可能とは考えられなかった。
しかし今は事情が違う。
夕鈴が後宮に入ることはできなくても、
黎翔が時折下町に降りてくるのは可能だし、
それで跡継ぎができるとしたら望ましいことではないか。
結婚していない夕鈴が妊娠することが、
青慎の名誉を傷つける結果になるのなら、
都合をつけるために水月は自分が夕鈴と結婚するというのも考えていた。
氾家は他の家より情報漏えいの心配も少なく、
国王とその後も続けて会うのも都合しやすいし、
もし父に露見しても、
この点を示唆しておけば、すぐには判断せずに、
様子を見る程度には史晴は保守的だ。
氾家の不利になるような情報をばらまくこともしないだろうから、
むしろ秘密を守るのには協力する形にならざるを得ないはずだ。
史晴が水月と紅珠もろとも夕鈴を消すとなったら仕方がないが、
それは避けたかった。
夕鈴が水月との結婚の話を受けるかという問題も残るが、
なんの保護もうけずに、
李翔の子どもと夕鈴を青慎1人に任せるというのは好ましくない。
その点は、青慎の名前を出せば断らないだろう。
黎翔は正妃との間に子を作らず、
後継者として瑛風を推そうと考えていると見えるが、
後継者候補がたった一人というのは不安だし、
瑛風本人は良いが、母親が後々問題になる気がしてならない。
どこまで1人で判断して動いて良いかは悩むところだ。

しかし、水月が何をしようと、
最後に判断するのは黎翔だと思えば、
提案し、それに対して準備を進めるのはいつもの業務と変わりない。






「姉さん、これおいしい!」
青慎は机に用意された食事を口に含んだまま感想を述べた。
青慎の収入が結構な額のため、
汀家の暮らしはかなり豊かになり、
料理は使用人にやらせても良いのだが、夕鈴は頑なに台所を守っている。
「ほんと?全部味が違うのよ。
試してみて」
「わ、ほんとだ!すごいね」
「でしょ?自信作よ」
最近、夕鈴の料理は手がこんでいる。
もともと料理は上手だが、
青慎の収入があるためアルバイトも毎日入らなくてもよくなり、
材料も選べるようになって料理に避ける時間が増えたのだ。
最近は庭で野菜を作ることもある。
「見た目も綺麗だし、
家で食べるのはもったいないな。
誰かに見せたくなっちゃうね」
「そ、そうかしら」
あ、これはもともと誰かに食べさせる予定だったな、と青慎は予測した。
夕鈴は最近、青慎の上司である氾水月の妹と仲が良いらしく、
時々家に遊びに行っているらしい。
そして、ほんのたまに、紅珠と、水月と一緒に夕飯を食べる。
1、2回は青慎も一緒だったが、
未婚の女性と上司と姉という空間に耐え切れずに、それ以降はできるだけ遠慮している。

王宮でのバイトを終え、
少し気が沈んでいるように見えた夕鈴だったが、
最近は元気そうだ。

バイトが終わってしばらくしてから、
夕鈴の上司を名乗る男から、退職金として、
遠くの州に家をもらったときは本当に驚いた。
王宮からの伝言だったため、提案という形ではあったが、
実際は強制的なものであった。
しかし引越してみると移動先は予想以上に悪くなく、
むしろ勉強には最適だった。
青慎が憧れていた書家を家庭教師として招いてくれており、
毎月最新の書籍が届く。
夕鈴は貴族の子女の世話役としての仕事を斡旋されて、
なぜ姉を雇ったのか疑問ではあったが楽しく働いていたようだった。
今回、王都に戻ると言ったら小さな少女は鼻水をたらして泣いていたし、
家族にも惜しまれていて驚いたのだ。
試験に受かって、しばらく中央で行事に借りだされた後、
青慎の最初の勤務地はその王都から一番遠い州だった。
成績優秀だったのに、もともと住んでいたとはいえそんなに遠く飛ばされて、
青慎の同期からは同情の視線を浴びせられたが、青慎は気にしていなかった。
殿試で出会った国王は間違いなく李翔であり、
彼は一度も青慎と顔見知りとしては振舞わなかったが、
時折いたずらっ子のように、
青慎に向かって微笑みかけるのであった。
場所は遠くても、
青慎のいた州の長官は経験豊富な人徳者であり、
青慎はキャリアのはじめにこの長官の下で働けたことをとても感謝していた。
夕鈴が、王宮での仕事について嘘をついていたのは仕方がないと思った。
具体的に何をしていたか、青慎は知らなかったが、
少なくとも掃除婦というのは嘘だ。
王宮の掃除婦は、手がアカギレでぼろぼろで、顔色も悪い人が多い。
会うたびに綺麗になっていく姉が掃除婦などしているはずがなかった。
だが、王の妾などという立場であったら、
夕鈴の黎翔に対する態度はどうも理解不能であって、
やはり青慎には、夕鈴が具体的に何をしていたのかは分からなかった。
夕鈴の部屋の引き出しの奥に、
黒くなってしまった銀細工の簪が入っていて、
それを時々取り出して大切そうに見つめていることだけが、
黎翔が姉を大切にしていたと思える唯一の手がかりだった。
なので、青慎は黎翔に会っても責めたり憎む気持ちはなかった。
しかしいつまでも黎翔を想っていては、
姉は家族をもてないだろう。
夕鈴は子どもがとても好きだから、それだけ少し残念だった。
自分がだれかと結婚して、甥や姪を早く抱かせてあげないと、と心に決めていたのだが、
最近少し事情が変わった。

水月のことがある。
青慎は水月のことをすごくいい人だと思うし、
夕鈴も嫌いではなさそうなので、
もしかしていい雰囲気にならないだろうか、などと考えていたのだが、
一向にその気配がなさそうで少し不安になる。
青慎は、夕鈴のために誰か探したほうがいいのだろうかと思ったこともあるが、
そんな余計なことをしても怒られるか傷つけてしまうだけだろうから、
できれば夕鈴が自分で、将来をともにしたい人を探してほしかった。
水月も白陽国の名家の出身なので身分違いと言われてしまえばそれまでだが、
国王よりはずっと望みがある。
それに、今のところ2人が恋人になりそうな気配ないけれど、
水月から何度も夕鈴を家に招待しているというのが、
青慎には大きな希望に思えた。
王宮での噂話に耳を傾ければ、
水月が父親である氾史晴の用意した相手と、
なにかとうまく細工をして破談にしているのは明らかであったし、
本人もあまり女性に興味がなさそうだった。
家族を持つ気も特にないとどこかで話しているのを聞いた。
だったらなぜ、青慎の姉である夕鈴とは会ってくれるのか不思議でならない。
そして、夕鈴が水月をどう思っているのかも、
青慎には読めなかった。
黎翔のときには、態度が明らかだったため、なんとなく読み取ることができたが、
水月のことはただの良い友人と思っているのか、それ以上なのか、
楽しそうに料理を作る背中を見ていても全く判断がつかなかった。






「いつもありがとうございます」
夕鈴は水月から茶を受け取った。
「…ん、甘い?」
「今日は蜂蜜を入れてみました」
「すごい!おいしいですね」
「お気に召したようでよかったです」
夕鈴は温かい茶器を手で包んだ。ほっとする。
水月は時々屋敷に夕鈴を招待して、おいしいお茶を淹れる。
毎回違う味で見た目も楽しい。
大抵いつも紅珠も一緒で、2人になるのは最初の1回だった。
「今日は紅珠はいないんですね」
「ええ、なにやら買い物があると言っておりましたね」
「水月さん」
「なんでしょうか」
夕鈴は声をかけたのをためらうように一度視線をずらして、
それからもう一度水月を見た。
「あの…あの方は、お元気ですか」
水月は少し驚いた顔をしてが、すぐに微笑んで答えた。
「ええ。元気すぎるくらいですが。
下の人間が仕事に追いつきません」
「そうなんですか!」
夕鈴は茶器を置いて、一息ついた。
「最後、きちんとご挨拶もできなかったんです。
お元気ならよかった」
夕鈴は本当に安心したように微笑んだ。
水月と会ってから、ずっと聞こうと思って聞けなかった。
青慎がまれに黎翔の話題を出すこともあるが、
夕鈴の欲しい情報ではない。
「陛下は体調もよろしいですし、
このところは機嫌もいいですよ」
「水月さんったら、そればっかり気にして」
「私にとっては大切なことですから」
「ふふ」
「幸せになってくれたならよかった」
「…そうですね。
お茶を追加しましょうか」
「いえ、今日は青慎が早く帰ってくるみたいなので、
もう帰ります」
「そうですか、残念です。
もう少しゆっくりお話できればと思いましたが…
ではまた」
「はい」






水月に連れられて会議に出席し、午後になろうとしていた。
水月は仕事が早く、だいたい午前中に終わらせて、
後は青慎1人でできるものだけ残して帰ってしまうことが多い。
もうそろそろ帰り仕度を始めるだろうな、
と思っているとやはりちらりと出口に目をやった。
「水月補佐官」
「なに?」
水月が立ち上がって、じゃあ、と短い挨拶をしたところで呼び止める。
しかし立ち止まってはくれないので、
一緒に廊下を歩いていく。
「なにか質問かな?」
「あ、はい」
「今日のところは全て理解していたように見えたけど」
「それは大丈夫です」
人がだれもいないところまで来た。
この辺りにこの時間に人がいることはまれだ。
「あの、水月補佐官は…」
青慎と水月の目が合った。
水月の目は白陽国では珍しい色をしていて、
光がないとガラス玉のようだ。
じっと見つめられると居心地が悪いのは仕方なかった。
夕鈴のことを聞きたいのに、
いざ本人と対峙するとなんと切り出して良いのか分からず、
そもそも自分が何を聞きたいのかさえ明らかではない。
「スパイスとして入れるなら、
しょうがとにんにく、どちらが好きですか」
「…うーん、料理によるけど、
決まっていないならどちらかというと、しょうがかな」
「ありがとうございます」
「ふふ、青慎も料理を作ってくれるの?
楽しみにしているね」
「え、いえ、僕じゃなくて…」
水月は歩くのがとても早く、すぐにいなくなってしまった。
何を聞こうとしていたのか、青慎は自分でも分からなかった。






水月は青慎が政務室の方向に戻っていったことを確かめて、
別の部屋に入った。
「やあ」
「遅いぞ、氾水月」
「そう?」
仁王立ちの柳方淵から資料を受け取った。
中を広げ、目的のものであることを確認する。
「あーよかった。
君が責任者だと頼みやすい」
「ふざけるな。余計な資料を用意するこっちの身にもなれ」
「陛下のためだよ」
「陛下のためといえば私がなんでもすると思っているだろう」
「違うのかい?」
「違いはしないが貴様に言われるのは不愉快だ」
「ああそう」
方淵は水月を睨んでいるが、特に何も言わない。
父である義広の補助が忙しくなっていたときに、
方淵を補佐官からはずすと言ったのは黎翔だった。
方淵ははじめはショックを受けていたが、
補佐官とは別の働きを期待されていることを伝えられ、
最近では発言の影響力が義広に追い迫るほどになっている。
「これって陛下本人が見に行ったほうがいいと思うよね?」
「そうだが、陛下のスケジュールを考えると、
今回はやむを得ん」
「まあ、それをなんとかするのが補佐官なわけだし…
ちゃんと陛下が同行できるようにしておくよ。
じゃあ、ありがとう」
用事は手短にすませ、水月は部屋を後にしようとする。
後ろから方淵に呼び止められた。
「おい」
「なに?」
「貴様、なにを考えてる」
「…特になにも?」
にこ、と笑っておけばこれ以上自分が何も言うつもりがないことは伝わるだろう。
水月は部屋を出て行った。




後は黎翔のスケジュールを調整するだけなので、
水月は他の事案を済ませておくことにした。
夕鈴を誘って、少し遠出することにする。
遠出と言っても汀家と氾家の距離よりは離れていないし、
車に乗っている時間も短い。
「揺れますから気をつけて」
「ありがとうございます」
水月が差し伸べた手を取って、夕鈴が車に乗り込んだ。
紅珠は後から来ることになっているので、
車の中は2人だけだ。
夕鈴がまだ黎翔のことを大切に思っていることが分かったし、
黎翔の考えは確定していないが、
とにかく選択肢を与えることが重要だ。
そして2人が結ばれたその暁に、
夕鈴が水月との結婚を拒否すると子どものことが面倒になるので、
ある程度まで夕鈴との距離を縮めなくてはならなかった。
しかし完全に気があると思われると、
気を遣って避けられる可能性がある。
夕鈴の反応を見ながら調節するつもりではあるが、
慣れないことでどこまで成功するかは未知数だ。
「楽しみですね!」
「そうですね。
発案者の紅珠が遅れてくるのは残念ですが」
紅珠においしい桃が成っている場所があると教えたのは水月だが、
夕鈴に桃を取りに行こうと言ったのは紅珠だ。
「後から来るんですよね」
「ええ。今日は人に呼ばれていたそうですが、
夕鈴と出かけるのが楽しみすぎて忘れたといっておりました」
「ふふ、紅珠ったら」
もし雰囲気が気まずくなったら紅珠で誤魔化すつもりなので、
来ないと困る。
「あ、そろそろですね」
「え!本当ですか!」
「急に立ち上がったら危な…」
まさかいきなり立ち上がるとは思っておらず、
大きな揺れで反応が遅れた水月は夕鈴を支えきれなかった。
抱きとめるようにそのまま車体にぶつかる。
「う」
「す、すいません!ごめんなさい水月さん」
「いえ、大丈夫です…ちょっと落ち着いて」
「ごめんなさい」
そういえばこの女性はこういうところがあるのだった。
いつも家で大人しく茶を飲んでいて忘れたが、
聞くところによると屋根にのぼったり木にのぼったりしていたらしい。
「今度こそ本当に着いたようですね」
車が止まったので一緒に降り、
桃の木のそばまで歩く。
「わーすごい。たくさん成ってますね」
「全部取ってもいいそうですよ」
「え、それはもったいないです!」
しばらく歩きながら、
おいしそうな実をとって食べる。
水月はそれほど食欲がないので、
ほとんど夕鈴が食べているのを見ているだけだ。
「おいしい!これもおいしい!すごいですね!」
「青慎にもいくつか持って帰りますか」
「いいんですか?!」
「許可は取ってありますから大丈夫です」
「わあ、やった!
青慎絶対喜びますよ」
「彼もなかなか食べるのが好きですよね」
「そうなんです。意外と!」
青慎の話をすると、夕鈴はとたんに嬉しそうな顔になる。
「夕鈴」
「はい」
水月は夕鈴の頬についている桃の果汁を拭った。
「ついてますよ」
「はっ、すいませんっわ、たれた!」
「ふっ…夕鈴、ほら、落ち着いて」
もう30近いというのに、
まるで小さい子どもみたいで思わず笑ってしまう。
夕鈴の手から落ちそうになっている桃を受け取る。
夕鈴がぽかんとした顔をして水月のことを見ていた。
「どうかしました?」
「いえ、水月さんがそんなに笑ってるの、珍しいなと思って」
「そうですか?」
「あ、いつも無愛想っていう意味じゃないですよ。
むしろずっとにこにこしてるけど、
大爆笑とかはしないじゃないですか」
「そうですね。あまり」
「ふふ、貴重なところを見れて良かったです」
その後夕鈴が満腹になったころに紅珠が合流し、
紅珠の桃の木の精霊と人間の青年の話を聞きながら、
その日は帰宅することになった。






「陛下、先日頼まれていた灌漑工事の件です」
「ああ、分かった」
遠方にある州は州長官の働きにより安定した経済力を誇っているが、
降雨量が少なく農作物の出来が天候に左右されすぎるのが問題であった。
古来より学者を多く輩出する州であり、
治安も悪くないが農作物が育たなければまずは生活がままならない。
王位についてからあまりに遠いためほとんど訪問のなかった土地ではあるが、
今回大規模な灌漑工事に伴い国王自らが一度赴くことになっている。
「留守の間頼むぞ」
「はい陛下」
水月は黎翔を見送ると、すぐに残っている仕事を片付けた。
青慎は夕鈴と一緒に、
遠方の州へ戻っている。
青慎は黎翔が不在のときに休みをとるのを渋ったが、
夕鈴も一緒に連れて行って欲しいと伝えると次の日に肯の返事が来た。
水月の考えていることに対して、
青慎にいつまでも隠しておくのは難しかったし、
彼の思慮深さと慎重さと、夕鈴のことを思う性格をふまえると、
隠しておくよりむしろ気付かせたほうが都合が良い。
後は黎翔と一緒に現地に向かう方淵にも、
ある程度のことは伝えてある。
はっきりと説明はしていないが、方淵も勘の鈍い男ではないし気付いただろう。
邪魔をされるとしたらそれまでだが、
最終的に判断をするのが黎翔である以上、
可能性を最初からつぶすようなことは多分しない。
李順も王宮を離れる中、水月は自分もいなくなるわけにはいかないので残ったのもあるが、
最後は自分の責任を離れて勝手に物事が進んでくれることを願った。
少しだけ、この判断が正しいのか分からなくなっていた。

夕鈴が、黎翔のことを良い思い出として片付けようとしているのなら、
今自分が行っていることは、
立ち直りかけていた彼女を傷つけることになるのではないだろうか。
時折懐かしそうな、寂しそうな顔をする黎翔のために、
安全で健康に生きている人間を、犠牲にする形になったら。
それに正妃のことを考えると、
夕鈴が大人しく黎翔の気持ちに答えるか疑問があった。
彼女なら、妃を娶った以上、
その女性だけを生涯愛しぬくことを期待するのではないだろうか。
一夫多妻制が当たり前の下町で育った人間に、
国王の持つ継承の責任を理解させるのは難しいだろうと思った。
今考えると自分の計画は普段なら考えられないほどに穴だらけである。
「年かな」
まだまだこれから仕事をこなさなくてはならないのに。

最終的な目的のはっきりしないまま、
衝動的に黎翔と夕鈴を会わせたいと思ったままに動いたのが間違いだっただろうか。
2人にどうなって欲しいのかもよく分からなかった。






夕鈴は懐かしい道に興奮して、前半は全く寝れなかったのだが、
後半は完全に意識が飛んでいた。
起きたときには懐かしい家の前だ。
「わああ、懐かしい!寒い!」
「山の上だと寒いね」
まさか青慎が仕事を休んで一緒に来てくれるとは思わず、
一応仕事も兼ねていると言われてやっと納得した。
州長官はしばらくはずしていると言われたので、
夕鈴は前にお世話になっていた家を訪ねて歩いた。
青慎は仕事があるということで、
夕鈴とは別行動となった。





青慎は水月に聞いていた滝の前にいた。
水月はこの場所に来たことがないはずなのに、
青慎よりも詳しいのではないかというくらい詳細に場所の説明をした。
山を登っていくと遠くから兵士に囲まれた馬と車の行列が見えてきた。
遠い遠征の割には数が少ない。
中央を見ると姿ははっきりしないが黎翔のように見えた。
これだけ表立っているとなるとあれは影武者の可能性が高いが、
黎翔が王宮にいないということになっているのは事実であることが確定した。
青慎は明確な説明を受けてはいないが、
言われたとおりに動けば、夕鈴が黎翔と顔を合わせることになるだろうと思っていた。
黎翔の命令ではないだろう。
水月の提案に乗るか乗らないかは青慎次第で、
青慎はまだ迷っていた。
さらに、青慎には水月の目的が分からなかった。
今夕鈴と黎翔を会わせて、
水月になんの利益があるのかが不明なのだ。
もしかしたら夕鈴のことを気に入ってくれていたのかと思ったのに、
まさか黎翔に会わせるために何度も家に誘っているとは知らなかった。
しかも夕鈴本人はそのことに全く気付いておらず、
友人が増えたとしか考えていない。
一先ず宿に戻ることにした。



村に戻ると懐かしい顔ぶれが迎えてくれ、
夕鈴と青慎は家に招かれて食事をした。
おいしそうに夕食を食べる夕鈴をちらちらと見つつ、
青慎はまだ決心できないでいた。

夕飯を食べ終え、青慎と夕鈴は宿に戻った。
夕鈴は窓の外を見つめている。
「いいところよね」
「そうだね」
「最初は、王都に戻るの嫌だったなあ…
ここはすごく居心地がよくて」
「そうなの?」
青慎が中央に呼ばれたとき、
一応夕鈴にこのまま残るか、戻るか聞いたのだが、
夕鈴は戻ることを選んだ。
「嫌なのと、楽しみなのと半分だったの。
色々あったし、不安なこともあったし…
でももう、大丈夫。
ずっと傍にいてくれてありがとうね、青慎。
これからもよろしく。
…なんか照れるわね。なんでこんなこと言ってるのかしら」
「姉さん…」
夕鈴は、もう王宮であったことを忘れて、
前に踏み出そうとしているのだろうか。
だとしたら、黎翔には会わせたくない。
水月の目的がなんだとしても、
今の夕鈴が幸せなのだとしたら、
それをかき乱す存在には会わせたくない。
「姉さん、あの…」
夕鈴の手が、持ってきた荷物にふれる。
その隙間から銀色にひかるものが見えた。
簪だ。
黎翔からもらった簪を、姉は、まだ持ち歩いてる。
「なあに、青慎?」
「……ちょっと、見てきて欲しいものがあるんだけど、明日いい?」






夕鈴は、青慎に言われた滝の傍に来ていた。
土の性質を調べるために、いくつかサンプルを取ってきてほしいと言われ、
夕鈴の手には小さな器の入った袋と、円匙が握られている。
補佐官っていろんな仕事があるのね、などと思いながらふらふら歩いていたところである。
もう1つ、夕鈴は袋の中に銀色の簪を入れていた。
これを土に埋めてくるつもりだった。
10年も持ち続けていた上、まともな手入れができずに黒ずんでいて、
その姿が夕鈴自身と重なるのだ。
昔の思い出にすがって、
何度か結婚を考えてくれた人もいたのに、
どうしても踏み切れなかったのは、自分の中で答えが出ていないからだと思った。
この村に戻ってきて、
王宮を出たばかりのことを思い出した。
夕鈴を知っていた官吏は戸惑っていたけれど、
夕鈴が自分を取り巻く悪意が管理できないくらい膨らんでいたのは分かっていたし、
もう潮時だと思っていた。
心残りなのは、黎翔に一度も自分の気持ちを伝えられなかったことと、
最後にまともな挨拶もできなかったことだ。
もし、夢の中でもいいからもう一度会えたら、
なんていおう。
「陛下」
呟いた瞬間、後ろから腕を掴まれて、夕鈴は驚いて振り返った。
それが誰なのかを確認する間もなく抱きしめられる。
「夕鈴…!」
「…え?」
ゆっくりと身体が離れていくが、
においと体温と声と、それだけ手がかりがあれば誰なのかはすぐに分かった。
忘れてない。
なにも忘れていない。
夕鈴が黎翔の背中に手を回すと、黎翔も答えてくれた。
「陛下…!」
「戻っていたんだね。
元気だった?ごめん!
謝っても許してもらえるわけないけど、とにかくごめん」
「元気でしたよ!
もういいんです。
だって10年も経っているし、
元気なところが見れて嬉しいです。
なんでいるんですか!」
「仕事で来てるんだけど…」
「まさか逃げてきたんですか」
「ちょっとだけだよ」
黎翔と夕鈴はしばらくお互いを見つめ合って、
どちらからともなく噴出した。
「陛下、変わってませんね」
「夕鈴だって。びっくりしたときの顔、変わってないよ」
「んな…っ」
怒ろうとすると、黎翔が夕鈴の髪をすくった。
「でも変わったかな?綺麗になった」
「ふ、ふざけないでください!また冗談ばっかり!
こんなボロボロの村娘捕まえて」
「冗談なんて言ってないよ。会えて嬉しい。
もし夕鈴がよければだけど、少し話さない?」

黎翔と夕鈴は近くの木陰に座った。
夕鈴は横にいる黎翔を見た。
もともと整った顔の黎翔だが、
落ち着きが増して、少し穏やかになった気がする。
たくさん言いたいことがあったのに、
実際に目の前にいると何も言うことができない。
あまりにも色々が出来事があって何から話せばいいのか分からないこともあるけれど、
今夕鈴が思うことは、
ただ黎翔が元気でいてくれてよかったということだけだ。
それが分かればもう他のことなんてどうでもよかった。
夕鈴は、黎翔が今までどんなことをしていたのかを聞いた。
「夕鈴」
「はい」
「ありがとう」
「え?」
「君が王宮に来てくれてよかった。
ずっと、夕鈴を傷つけたり不幸にするばかりだったから、
いてくれて嬉しいなんて言えなかった。
君が私をどれだけ恨んでいたとしても、これだけは言わせてほしかった」
黎翔が夕鈴の目をじっと見つめる。
少し不安そうな顔を見ていると、
抱きしめてあげたくなる。
「陛下、
そんなわけないじゃないですか。
私は、いつでも陛下の味方ですよ」
「夕鈴…」
黎翔が夕鈴の頬に手を伸ばした。
夕鈴が覚えているよりも少し固くなっている気がする。
「私も、ずっと陛下に言えなかったことがあって…
私、陛下のことが好きでした。
尊敬してるとか、そういんじゃなくて、
一緒にいるとドキドキして、
本当に大好きでいた。
陛下と会えてすごく幸せです。
これからもずっと味方でいます。
青慎と一緒に応援してます」
「…」
「じゃあ、私は、もういきますね」
立ち上がって服についた土をはらった。
「夕鈴」
「はい」
「僕も、夕鈴に言ったこと、全部本音だったよ」
「陛下…嬉しいです。
こんなに幸せなの、初めてです」
「夕鈴、」
「もうお仕事さぼったらダメですよ。
さようなら!」
手を振って、夕鈴はすぐにその場を後にした。
走って村まで戻る途中、ぼろぼろ涙が出てきた。
10年かけて、やっと初恋を終わらせることができた。
大好きな人が元気で過ごしてくれていてよかった。
温かく笑ってくれてよかった。
夕鈴が覚えているよりも、ずっとかっこよくて、
優しくて、穏やかで、
素敵な王様だった。




「姉さん!」
「青慎!」
「え?」
顔をぐちゃぐちゃにして帰ってきた夕鈴は、
青慎の顔を見るなり飛びついた。
「だ、大丈夫?」
こうやって人前で思いっきり泣くときは、
姉は大丈夫だ。
青慎が知らない間に1人で部屋に戻っていて、
声を押し殺して泣いた後、
真っ赤な目で無理やり笑顔をつくっていたらどうしようかと思ったが、
ぼろぼろ泣いてくれてよかった。
「姉さん、明日頭痛くなっちゃうね」
「そうなのっ!でも土が目に入って、涙が止まらないの!
しかも!持って帰ってくるの忘れた!」
「うん、いいよ、土なんか…いいよ」
青慎が夕鈴の背中を撫でると、夕鈴はさらに激しく泣き出した。




偵察から帰ってきた黎翔を見て、
水月は黎翔と夕鈴は顔を合わせてきただろうと推測した。
この後2人がどう動くかは状況によるだろうが、
黎翔の穏やかな顔を見ていると、
なにかあったことは確かだ。
「陛下」
「なんだ」
「先日の偵察の資料、全てまとめました。
過去のデータと比較しまして、
適切な業者を手配しております。
ご確認をお願いいたします」
「ああ」
黎翔は受け取った資料を上下に斜め読みし、
水月に返した。
「問題ない」
「ありがとうございます。
…陛下、遠方はいかがでしたか?」
「悪くない」
ふん、と笑った黎翔の顔は、
水月が待っていたものだった。
仮面のような王様の顔の下に、黎翔自身が持っている表情だ。
「それはようございました」





黎翔は、滝の傍で見た夕鈴の姿を思い出していた。
滝のところが地盤がゆるくなっていて、工事の妨害になるかもしれないとのことだったが、
方淵が業者をつれていっても判断しかねると言うので、
書類仕事に飽きたころに見に行くことにしたのだ。
そこで夕鈴に会うとは全く予想していなかった。
今から思えば方淵の誘導が不自然であったし、
夕鈴が偶然あの場所にいるとは思えないから青慎も怪しい。
この偵察に黎翔が向かえるようにスケジュールを調節した水月だってシロではないだろう。
いったい誰がどこまで考えて仕組んだのかは知らないが、
今は責めるつもりはなかった。
夕鈴が、黎翔が贈った簪を持っていてくれただけで十分だった。
嫌われていると思っていた。
あんな別れ方をして、
最後まで守れなかったのだから、憎まれていても仕方ない。
けれど、夕鈴はそうは言わなかった。
あのときと変わらない笑顔を見せてくれ、
同じように黎翔の味方だといってくれた。
頬に触れたとき、
夕鈴はもう前のように顔を赤くしたりはしなかった。
落ち着いた表情で、
慈しむように手を添えた彼女は、
黎翔を好きだといったけれど、
もうそれは過去のことなんだろう。
夕鈴がいなくなって10年もの間、
何も動けず遠くから遠くから見守っていた時間が、
ゆっくり夕鈴の気持ちを変化させたのかもしれない。
直後に追いかけて、抱きしめて、口付けしていたら、
また夕鈴は顔を真っ赤にして、
それでも嬉しそうに微笑んでくれたのだろうか。
そうできなかったのは、
王宮を出てから動けずにいたことへの罪悪感かもしれなかったし、
夕鈴が自分がいなくてもずっと強く生きていたことを感じて、
見守るのならその姿がいいと感じたからかもしれない。

報告を終えるとすぐに消えたがる補佐官が珍しく雑談を始めたので、
主犯はこいつか、と黎翔は水月に非難とも感謝とも分からない一瞥をくれたのだった。

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!!!!!!!! 。゚(゚´Д`゚)゚。

こういう未来ものにほんと弱いんです…
夕鈴が大人になってて、初恋を昇華できてよかったです。
これから水月さんとどうなるのか、続きをお待ちしてます。ほんと喉から手が出そうなくらい待ってます。

それにしても水月さんは年期の入った黎×夕派ですね。
ともこさんへ
ともこさんこんにちは!
水月さんと夕鈴の未来ものとか自分のためすぎてどうしようかと思いましたが読んで下さりありがとうございます。

10年も経ってるのに今更協力なんてよく考えるとちょっとアホらしいですね。
もともとギャグなので嘘やんwと思いながら時間つぶしにでも使っていただければ幸いです!
羽梨さん
羽梨さんこんにちは。
本当ですか?!
期待されてる展開になるかは不明ですが続きますのでもしよろしければ楽しんで下さると嬉しいです。
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secret


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